トイボックス エンヂニアリング

組込みハードウェアエンジニアが語るブログ

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フィリピン語学留学の休日

 

 先日の記事で、フィリピンの英語学校に行った話を書きました。 

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 書いてみると、意外と長い記事になってしまったため、休日の過ごし方はこの記事にまとめてみます。

フィリピンにはビザが不要なちょうど四週間の滞在だったので、到着した日を除くと土日の休日が4回あったことになります。

重ねて書きますが、私がフィリピンに滞在したのは、3年半前の2014年11月中旬から12月中旬の4週間なので、今とは違うかもしれません。その点ご了承ください。

私は、団体行動があまり好きではないので、この滞在期間中の外出は、ほぼ一人で出歩いています。

 

一週目の休日。

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最初の休日は、不慣れなこともあったので、近所のSMモールに行ってみました。

それと、学校に滞在中に必要そうなもの、例えば、ウォーターサーバーから水をくむためのタンブラーや、お菓子などの購入です。

たしか、同じ敷地内の地元の学校にも売店があったのですが、何を売っていたのかあまり覚えていません。

 

SMモールはCNE1からバスで15分くらいの場所にあります。

フィリピンのバスは大きく分けてエアコン付きのバスと普通のバス(ordinaryと言っていたと思います)があります。

 

 

15分くらいだったので普通のバスに乗って出かけていました。

このバスはドアがなかったり、どこかの国の中古かな?という感じのバスです。

フィリピンのバスは、路線にバス停などがあるわけではなく、走ってくるバスの行先を見て、手を挙げて止めます。

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乗り方は、エアコン付きも普通のも同じで、手を挙げて止めて、席に座ると、車掌(運転手とは別にいます)が近付いてくるので、行先を言うとチケットに金額をパンチしてくれるので、引き換えに料金を支払います。

降りる場所が近付いてくると、車掌が声をかけてくれたり、くれなかったりします。

メジャーな停留所には、必ず止まるようです。バス停はないと前述しましたが、SMモールや始発、終点にはおおきなバスターミナルがあります。

 

で、近所のSMモールは日本の普通のイオンモールくらいあって、入り口は、簡単な荷物検査をされます。

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ユニクロなどもあり、何ら不便しませんが、現地価格になれると、ユニクロがとても高価に思ったのを覚えています。

上の写真は、フィリピンではメジャーなジョリビーというファーストフードです。

帰りは、SMモールの前にあるバスターミナルからバスに乗るのですが、トライシクルがたむろっていたので、写真を撮らせてもらいました。

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トライシクルだけを取ろうとしてたら、しれーっと写真のフレームに運転手のおじさんたちも入ってくるので、入れてあげました。

 

 

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二週目の休日

二週目は、少し足を延ばして、バギオまで行くことにしました。

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サンマニュエルからバギオは改めて計ってみると直線距離で60Kmくらいらしいです。そしてエアコンバス

エアコンバスは、日本でいうところの観光バスと同じで、寒いくらいエアコンが効いています。ドアもあります。立ってるのが車掌さん。

3年半もたってしまったので、何時間かかったのか正確に覚えていませんが、何時間かかかったと思います。途中1回くらいトイレ休憩があったように思います。

バギオの停留所は、バギオのSMモールの下にありました。

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バギオのSMモールから見た景色。このころ、ちょうど「アナと雪の女王」が上映されていて、SMモールのモチーフ(?)がアナ雪になっていたと思います。

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上の写真は「バギオカテドラル」です。SMモールの近くに建っていて、自由に出入りすることができます。フィリピンはクリスチャンが多いらしく、学校の講師にもたくさんいました。私自身は、無宗教なので宗教には興味はありませんが、地元の建物ということで、見学させていただきました。学校の講師とは、宗教の話などもしたのを思い出しました。話をしている感じでは、とても熱心な信者、という感じは受けませんでした。(実際はどうなんでしょ?)

 

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写真左がまちのなかでよく見かけるジプニーという乗り合いバスのような乗り物

私は、街中は歩いていたので、乗っていません。

右の写真は、町の中の風景です。電線が絡まないのか、どこにつながっているのかどうやって管理しているのか謎です。

その後、町の中心部の大きな公園を散策したり、マーケットでお土産を買ったりして、夜市が始まるのを待ちました。

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夜市はこんな感じ。シャツなどは日本円で300円とかで売ってます。 ここに行く前に、学校の講師と「週末はバギオの夜市にいくんだ」と話していたら、「革ジャンを買ってきてくれ、1500円くらいだから!」と言われました。私は、その日着ていたシャツが2000円くらいだったので、びっくりした覚えがあります。

なんだか、英語を教えてもらう立場の自分と自分より博識な講師が経済格差でこんなに差があることがとてもショックだったのを覚えています。私は、こういったショックや前述の宗教の話なども、話をする前に前置きをしたうえで、講師たちと話をしたのを思い出しました。

 

 

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三週目の休日

三週目はさらに足を延ばして、世界遺産のビガンという町に行きました。

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学校からは直線距離で200Kmくらいあります。

ビガンへは一旦、バギオまで行ってビガン行きのバスに乗り換えたと思います。

もちろんエアコン付き。朝出発したのに、ビガンについたのは夜でした。

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クリスマスシーズンだからか寺院はライトアップされていました。

ポケットWiFiや現地SIMなども持ち歩いていなかった私は、フィリピン観光で一番困ったのは、バス停のない場所で降ろされて、そこがまずどこなのかを調べることでした。

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ビガンについた時も、自分がどこにいるのかわからず、帰りのバスの場所もわからないので、市民会館のようなところに飛び込んで、地元の人に聞いて回ったのですが、現地の人は決して英語が喋れるわけではなく、私は片言の英語、相手はタガログ語、という状況で、これ、日本語でしゃべってもいいんじゃね?という感じでした。(語学学習に行っている建前もあるので、英語で話していましたが。。。)最後はボディーランゲージでしたが、伝わって、理解ができればいいんです。

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そして、世界遺産の街はこんな感じでした。建物の一階は、お土産物屋さんになっていました。世界遺産になっているのは、この通りだけなので、時間をかけてたどり着いた割には、現地には2時間くらいしか滞在していなかったように思います。

 

帰りのバスをどうやって見つけたのか、あまり覚えていませんが、通りを歩いていたら、それっぽい(?)バスを見かけたので、飛び乗ったように思います。

 

乗るときには、車掌に行先を確認はしているのですが、英語が伝わっているのかも分からないし、地名を見てもよくわからないのです。

感覚的には、名古屋でバスを拾って、「東京行き」と書いてあればいいのですが、実際は、「新宿行き」のようなローカルな地名が書いてあって、しかも降りたいのは、町田、みたいな感じです。本当に学校の前の通りを通ってくれるのかもよくわからず、乗った後に、隣の席の女の子に、「このバスは、サンマニュエルとおります?」って聞いてみたのですが、結局最後は一緒に地図を見てはくれるものの、よくわからず、寝たら負けだな、と思ってバスに乗っていたのを覚えています。

フィリピンのバスは、(たぶん)24時間走っているのです。

この日もビガンからバスに乗ったのが多分夜の9時とか10時とかで、学校にたどり着いたのは明けて3時とかだったように記憶しています。

結局、目を凝らして深夜の道を見ていましたが、学校の前を数百メートルすぎたところで、運転手に「おります!」と言って事なきをえたのでした。

学校の周りが、本当に田舎で、目印になるものが何もないのです。

 

 

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4週目の休日

最後の休日は金曜日に学校を卒業して、学校に頼めば空港まで送ってくれるのですが、私は、せっかくフィリピンに来たのだし、マニラの街も見たいなと思い、路線バで帰ることにしました。私以外にも、一緒に卒業する女の子が二人いたので、マニラのマカティにあるドミトリーに一緒に泊まって、翌日各自別れることにしました。

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学校からマニラまで直線距離で、140Kmくらいです。

来たときは2時間くらいで学校まで着いたように思うのですが、帰りはマニラが近付くと大渋滞に巻き込まれて、5-6時間かかったように思います。なので、結果的にマニラでは何も観光していません。)

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右はマニラで見かけたOrdinaryなバスで、京成バスでした。

この日、最後の晩餐を三人で食べて、一人はワーキングホリデーでオーストラリアへもう一人はもう少し観光して日本へ、私は翌日の飛行機で日本へ帰宅したのでした。

ちなみに、ドミトリーから空港までのタクシーは、事前に、ドミトリーのスタッフに空港までのタクシー代をきいてから乗りました。空港が近付くまでは、普通のタクシーだったのですが、空港の看板が見えたとたんにメーターの上がる速度が速くなり、あっという間にぼったくりタクシーに早変わりしました。たまたま、私は、メーターを見ていたので、上がり方がおかしくなった時点で指摘をして、ドミトリーで聞いた金額以上は支払わなくて済みましたが、見ていなかったら、思いっきりぼったくられていました。

 

【感想】

バカンス半分の気分で行ったフィリピン留学ですが、土日の休暇でも十分満喫できたので、とても楽しかったです。

フィリピンはどこに行っても、人が陽気で、バス停でどのバスに乗ったらいいか困っていると、知らないおじさんが親切に教えてくれたり、道を聞いても教えてくれます。

一方で、貧富の差がおおきいのも実感として感じました。

学校の講師と話をしていても、「マニラは、あぶない」としきりに言われていたので、危ない地域にはいかないようにしていたからかもしれませんが、都会の方がより貧富の差が大きく、立ち止まっていると、タクシーを止めるために子供が寄ってきてチップをせがんできたり、公園でたたずんでいると、目の前で子供が歌いだして、チップをせがんできたりと、いろいろ考えさせられることは多かったですが、学校やドミトリーなどで個人対個人でかかわった人は、みな良い印象でした。

 

思い出して書いていたら、また行きたくなってきたなぁ。

フィリピン英語留学 CNE1に行った話

 

こんな記事を見かけたので、私の経験についても書いてみる。

 

machine.hatenablog.jp

とはいえ、私がフィリピンに英語留学をしたのは、三年半前の2014年11月中旬から12月中旬のことなので、今とはもしかしたら状況が違うかもしれません。

私は2014年10月末をもって、以前勤めていた会社を退職し、2か月のガーデニング休暇(?)*1を経て新しい会社に入社しました。

その2か月の間に、自宅の引っ越しと、フィリピン留学4週間をしたのでした。

 

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 目次

  

【きっかけ】

前職の末期、仕事に疲れ果てて、現実逃避をしているときに、「今、どこかに行くとしたらどこかな?」と考えたことがありました。

社会人になると、あまりまとまった休暇を取るのは難しくなります。私の妄想は、「タイでも行って、バカンスかなぁ」と思っていたのですが、当時、タイはクーデターで危ないのかなぁと、あまり調べずに考えたりしていました。そんなことがありながら、会社を辞める時期が近付いてきたら、「そうだ、あの時の妄想を実現するならいましかない!」と、思ったわけですが、せっかく海外に行くのだし、英語の勉強もできたらいいな、セブとか英語留学で有名だし、バカンスも兼ねられそう!と安易な思いで、フィリピン留学を決めたのでした。(でも、前述のセブの学校に行っていたら、地獄だっただろうなぁ、と記事を読んで思いました。)

私は、たしか「フィリピン 英語留学」でググって、当時、一番初めに出てきたCNE1という学校に行くことにしました。

 

 

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【学校について】

CNE1はルソン島にあり、マニラから、道がすいていれば、たしか2時間くらい(若干あいまい)のサンマニュエルというところにあります。

当時は日本人と韓国人とロシア人の共同オーナーの学校でした。

なので、私が行ったときは、学生はたしか40人くらいで、一人だけ韓国人がいたように思いますが他は、みな日本人でした。大学生が多く、これからワーキングホリデーに行く20代の人、リタイア後のご老人が少々、当時私は41歳だったので、レアなケースで二人くらいでした。

ちなみに、先生は50人くらいでした。

学校は、基本的に日曜日移動日、月曜日入学~金曜日卒業式という流れでした。

 

【授業について】

 日曜日の21時30分に空港につくと、学校の関係者が空港まで迎えに来てくれます。

学校には24時くらいについて、その日は部屋を割り当てられ就寝。

 

月曜日は、最初にレベル分け試験と称して、スピーキングとリスニングの試験があります。

余談ですが、私は英語が大嫌いでした。

中学生のときは、教科書を暗記して、しのいでいましたが、高校受験のために、中三の時に夏期講習に行くまで、BE動詞と一般動詞の違いを知りませんでした。

高校に入っても、工業科だったので、英語は授業としてはありましたが、全く勉強していませんでした。

大学でも、テストの答案に反省文を書いて単位をもらっていました。

というレベルです。

 

レベル分けの試験のあとに、授業を何コマ取るのかを決めます。

一日4コマまでで、1コマ2時間。8:00-10:00,10:00-12:00,13:00-15:00,15:00-17:00だったと思います。

私は半分遊びに行っている気分だったのと、英語が大嫌いだったので、2コマだけにするつもりでしたが、学校の日本人職員と話し合って、「せっかくフィリピンまできているのだから」という理由で、3コマ取ることにしました。

授業の内容は、いくつか種類があって、レベルの低い私は「英文法」2コマと「英会話」的なのを1コマ取ることにしました。

 

授業は基本的にマンツーマンで、私の担当は、当時40代後半の男性講師①、20代半ばの女性講師①、もう一人も20代半ばの女性講師②でした。

素人で、しかも英語のつたない私が言うのも何ですが、教師のレベルはまちまちで、女性講師①とは、どうもそりが合わず、2週間でチェンジしました。変わった講師は20代後半の男性講師②でした。

正直、フィリピンに行ってまで、英文法かよ?という意見もあろうことかと思いますが、英文法を英語で習うというのは、それはそれで意義があって、質問も英語でしなければならないわけで、英文法といっても、習うこと自体が英語の勉強になる印象です。

男性講師①はとても教え方がうまく、2時間の授業のうち、半分は雑談でしたが、雑談の中で、意思の疎通ができることが英語が嫌いな私にとってはとても意義のある授業でした。また、この講師は、私がわからない英単語があると、辞書で調べさせるのではなく、他のいい方で、単語の意味を説明してくれるところに、関心しました。なので、この先生の時は、会話を止めて、辞書で調べるという時間があまりなかったように思います。

フィリピンは英語が母国語ではないので、講師によってはとても癖のある英語を話す講師もいましたが、英語話者がみなきれいな英語を話すわけではないので、それはそれでいいのかもしれません。

 

 

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【放課後】

この学校は授業以外にもクラブ活動があったり、飲み会のイベントが中庭であったりと、授業以外で講師と話ができる機会が多くありました。

なかにはEOP(English only policy)の札を首から下げて、日本人同士でも英語以外は話しません、という人も中にはいましたが、私は日本人とは日本語で話していました。

それと、授業の最後に、宿題がでるので、ふだん放課後は宿題に充てていました。

とはいえ、2時間程度で終わる内容なので、それ以外は、学校の前にある掘っ立て小屋の居酒屋?のようなところで飲んだり、近所の公園(とはいってもバスで数分)の場所でクリスマスミニライブのようなのを聞いたりしました。

 

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私の休日の過ごし方は、記事が長くなるので、別記事にわけます。

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【生活】

教室の二階部分が宿泊施設になっています。私は四人部屋(下写真左)を申請していたのですが、途中で部屋の工事ということで、部屋をあけることになりました。

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学校側都合ということで、私は同じ料金で一人部屋(上写真右)に移りました。

とてもきれいですね。

洗濯物は、週に2-3回(正確には忘れました)部屋のそとのかごにいれて出しておくと、学校のスタッフが洗濯して干して戻してくれます。

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左のカゴが洗濯前、右のカゴが洗濯後です。うろ覚えですが、洗濯ものの内容を紙に書いて入れておくと、戻ってくるときにチェックが入って紛失しないような工夫がされていました。

また、この学校のトイレは、トイレットペーパーを流して良いトイレになっていて、とても快適でした。一般的なフィリピンのトイレは、使った紙は横のゴミ箱に捨てる習慣らしいです。(流すと詰まるらしいです。)

風呂はシャワーですが、お湯もちゃんと出ます。

敷地内にはWiFiが飛んでいて、無料で無料で使うことができます。

全館冷房がとても効いていて、快適ですが、たまーに停電になったりしていました。

水道水は飲むことができないので、ウォーターサーバーが置いてあります。

食事は、朝昼晩、敷地内の食堂で食べます。日本人好みになるように工夫をしているようで、とてもおいしかったです。

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大体こんな感じ。食堂の女の子もとても愛嬌のある子だったなぁ。

ちなみに、外に食べに行ってもいいのですが、前述の居酒屋以外は、バスで15分くらいのところにSMモール(日本でいうところのイオンモールみたいな感じ)があるくらいです。

あと、事務所の3階にカフェがあって、軽食を取ることができます。

良い感じの場所だったのに、写真がありませんでした><

 

 

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【費用】

東京(成田)-マニラ エコノミー 往復¥58,210

入学金¥15,000

学費(食費、授業料、教材費、光熱費など) ¥150,000くらい、、、

肝心の学費がうろ覚えです、すいません。入学金は日本円で振り込んだので、記録があったのですが、学費について、現地でフィリピンペソで支払った上に、授業のコマ数などを変更したので、だいたいこのくらい、しか覚えてませんでした。

 

【感想】

結果的にはとてもよかったです。

私的には、週末になると、その週にやったことや、私の学習状況などを通信簿のように担当講師全員が一人A4一枚、裏表にぎっちりコメントを書いてくれるのですが、これがとてもよかったです。

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また、授業もすべて録音することができて、後で聞くこともできます。

(スピーキングのテストだけは録音させてもらえませんでしたが。)

フィリピンのお国柄なのか、講師はみな明るくてとても居心地のいい環境でした。

思い出しながら書いていたら、とても懐かしい気持ちになって、まだまだ書き足りない感じですが、とてもながくなってしまったので、この辺で。

 

 

 

 

*1:F1では、チームからチームに移籍する際に、ガーデニング休暇というブランクを設ける慣習があります。私はF1関係者ではありませんが。

ハードウェアエンジニアになってからの転機について

7月のこの時期は、私の師匠ともいえる人の命日です。

もう、10年以上たっていますが、そのNさんが私に与えた影響はとても大きいです。

 

私は、以前別の記事にも書いた通り、新卒で会社に入るまでは回路のことは勉強はしていましたが、実技としてはからっきしでした。

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趣味とはいえ、ソフトウェアの知識しかなかった自分が、ハードウェアとはなんなのか?に「はっ」としたきっかけが2回ありました。

1回目は、就職してCPUの動作(正確にはメモリアクセスの仕組み)を知ったときです。

新卒で入社した会社は、1996年にも関わらず、社内的には68000が主流な時代でした。

当時の68000は、周辺回路など何も入っておらず、メモリアクセスしかできないCPUでした。外付けに、リセット回路、クロックの分配、ROM、RAM、IO、サウンド関係を実装するのが定番で、すべてロジックICで組んでいました。かろうじてPALやCPLDが使われ始めている、という感じでした。

アドレスをデコードする回路や非同期回路のメモリアクセスのタイミング回路などの仕組みが分かった時が一回目のその時でした。

このとき、自分の書いたプログラムがどのように回路に信号を伝えるのかを知りました。

 

 

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私が入社して3年目くらいに、Nさんは中途で入社してきました。

当時の会社のレベルの低さに、Nさんはあきれたと思いますが、私は外の空気へのあこがれなどから、Nさんとは公私ともにすぐに仲良くなりました。

2回目のその時は、Nさんと仕事をすることになったときです。

その時、Nさんから最初に言われたのは、「仕事は、自分が作りたいものを設計できるように、会社を説得するもんだ。」ということです。

結局Nさんは、まんまと自分の作りたかったSH4、SISのビデオチップ搭載の基板を作る段取りを進め、その基板に搭載するATAバスHDDからUltra DMA mode4で読み出すFPGAをIPコアなど使わず作れといわれて、一緒に開発することになりました。

(正確には「作れ」というより、これこれこういう速度でHDDから読み出した画像を画面に表示しないといけない。どうしようか?といった打ち合わせでした。)

私はHDDから読み出したデータをキャッシュにいれて、CPUに割り込みを入れるところまでが担当でしたが、おそらく私を次のステップに上げるために、水を向けてくれたのだと思います。

今考えても恐ろしいですが、その時まで、私は同期回路と非同期回路の違いを知りませんでした。

前述の通り、ロジックICでタイミングを作っていた時代の名残で、平気でFFのCLK端子にCPUのAddress Strobeを入れてしまうような回路を作っていました。

HDLは完全に独学で、デジタル回路の教科書などにも同期回路、非同期回路など(少なくとも私の環境では)どこにも出てきませんでした。

同期回路で回路設計ができるようになってからは、システムを自分のアイディアで回路設計をしてなんでも作れるんではないか?とも思ったものです。(現実はそんなに甘くないですけど。)

 

 

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結局その後、私は回路設計をする前のアイディアを考える楽しさを知ることができ、Nさんがなくなるまでの数年はハードウェアエンジニアをしていました。

Nさんが亡くなったあと、私はその部署に魅力を感じなくなり、また、時代もビデオ表現、サウンド関係、ネットワーク関係はPCに奪われて行く時代だったこともあり、社内で他の部署に異動することを決めたのでした。(その5年後、会社の事業方針など、もろもろの事情で、またもどってくるのですが。。。)

三年半前に転職してしまいましたが、その会社のその部署にはハードウェアエンジニアが10人くらいいましたが、果たして設計の楽しさを知っている人間が何人いたのだろう?と思うと、Nさんが私に与えた影響はとても大きく、それは生き方にまで影響を受けてしまったように思います。私も、なんとか、回路設計の楽しさの本質を後輩に伝えたいと努力をしていたつもりでしたが、伝わっていたのかなぁ?

 

 

そんなわけで、10年以上たっても、この時期になるとNさんのことを思い出します。

私もとっくに彼の年齢を超えてしまい、「もし、彼が今でも生きていたら、どんな話をするかなぁ?」といつも心を巡らせています。

 

私が旅を好きな理由/三人の旅人たち(ネタばれあり)

「三人の旅人たち」という話を知っているだろうか?

1973年生まれの私が、小学校三年生か四年生のときに、国語の教科書に載っていた物語です。

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かいつまんで、あらすじを書くと、

以下ネタバレ---------------

砂漠の真ん中にある駅に三人の駅員がいました。

三人は、貯金がたまったので、交代で休暇を取って旅に出ることにします。

一人は、都会へ。

一人は、山と海へ。

一人は、何もないと思われていた砂漠へ。

三人はそれぞれ出かけては、駅で待つ二人に、お土産と土産話を持って帰ってきて、三人でコーヒーを飲みながら旅の話を聞きます。

最後の一人は、何もないと思われていた砂漠で、オアシスを見つけます。

以上ネタバレ------------------

 

 

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国語の授業としては、教師が書かせたいであろう答えがあって、当時の私はそれを織り込んで感想を述べたような気がします。

 

が、この話、実は、私の旅好きの原点がここにあるのです。

あらすじではかなり端折りましたが、旅に出る前のわくわく感、旅から帰ってきた人の話を聞くわくわく感、身近な人がまだ行ったことのない場所を見つけて、どんなに良かったかを話すわくわく感。

大人になっても、このわくわく感は今でも変わりません。

 

数年前に、この物語が当時の記憶のままなのかが気になって、Amazonで取り寄せて読んでみました。

教科書には載っていなかった文章もあるように感じましたし、突っ込みどころも満載ではありましたが、物語の内容は当時のまま色あせることなく、自分の原点の一つを思いださせてくれる内容でした。

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この物語は、「しずくの首飾り」(ジョーン・エイキン作 猪熊葉子訳 岩波書店

の中の短編として収録されています。

 

 

 

春アニメの感想

2018年春アニメについての感想。

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私は、ネットでしかアニメを見ていません。なので、名作といわれるアニメを見落としていたりしますが、私が見ていた春アニメは以下の通りです。

また、ネットでしか見ていないので、基本1週遅れでの配信となっていますので、すでに終わっているアニメも「あと一週」とか書いてるかもしれません。

  

ヒナまつり」はAmazon Prime Videoでみていました。

まったくノーチェックだったのですが、とても面白かったです。

シュールなギャグと出てくる人物がみないい人なところがとてもよかった。

 エンディングテーマもGOOD。

 

 

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ソードアートオンライン オルタナティブ ガンゲイルオンライン」もAmazon Prime Videoで見ています。これは、今日の時点では、配信では終わっていません。

最近この手の、アニメの中でアバターを使って別のことをするアニメが流行っていますね。この後記述の「ガンダム ビルドダイバーズ」しかり、要は「プリパラ」ですね。

こうなってしまうと、世界設定なんてなんでもよくて、視聴者が気持ちいいことだけを表現すれば良いと考えると、なんでもありだな、という気がします。

ですが、このGGOで気になるのは、対人戦の表現で、対戦相手が「人」で自分が中の人でCGを見ているのであればいざ知らず、アニメで見ていると、人を殺す表現が見ていて気持ちのいいものではありません。血が出なければなんでもいいのか?と言いたくなります。

また、ソードアートオンラインの時は設定の妙が楽しませてくれていましたが、それが解決してしまった今回の世界観ではなんだか何を楽しんでいいのかわかりませんでした。が、最終話を見たら意見が変わるかもしれないという期待だけで、見ています。

 

 

ガンダムビルドダイバーズ」もAmazon Prime Videoで見ています。

これは1クール目が終わったところです。これもプリパラタイプのアニメですが、ガンプラでバトルをするのですが、ガンダムビルドファイターズプラモ狂四郎のように、対戦結果がガンプラにフィードバックされない世界観になっています。(壊れるバトルも出てきますが。)このアニメが好感が持てるのは、プラモを作っているシーンが出てきたりするところが、良いですよね。また、GGOのように実際に戦っているのがモビルスーツなので、首が飛んだり、腕がもげたりしても許容することができます。

黎明期のオンラインゲーマーでもあった自分としては、新しいシステムが導入されて、ライトユーザーがたくさん入って活気が出ることが喜ばしい反面、システムが新規ユーザーに迎合することで、初期のシビアな世界観を壊してしまうというトレードオフを経験しているので、世界観的には理解できます。

でも、2クールめも楽しみです。

 

 

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ヲタクに恋は難しい」もAmazon Prime Videoで見ています。

これは、先週終わっていたのに、終わったことに気が付きませんでした。

この手のアニメにどれくらい需要があるのかわかりませんが、二期目が作れるような作りにしたのかな?見ていてイラッとくるところもありましたが、今どきのおたくが付き合うとこういう感じなのかな?と思いました。

私も、重度のオタクとつきあったこともありますが、こんなにさわやかではなかったように思います。私としても相手が夢中なものに付き合ったりして一緒に楽しんだりしましたが、そのつもりはなくても言い方を間違えると「すぐに批判をする」などといわれて困ったものです。

 

 

シュタインズ・ゲートゼロ」もAmazon prime Videoです。

これは、前作を見たのがだいぶ前で、内容を忘れていたことを差し引いても、なんでこんな世界観になっているのかついていけませんでした。ネットで調べてみると、どうも前作の最終話の別エンディング的なものを私が見ていないせいのようですが、そういわれても、という感じ。ですが、実は私の母校が舞台になっていて、前作ではあまりそのような場面は見かけなかったように記憶していますが、今は北千住に移転してしまいましたが、私が通学していた移転前の時代の背景がとても懐かしく随所にでてきます。

これは、たぶん、好きな人は好きなんだろうなと思いながら、わからないところは「そういうもんだ」とおもってみています。2クールなのかな?

 

 

 「BEATLESS」もAmazon Prime Videoです。

これは、初めに期待していた内容とは大きく違いました。とはいえ、具体的に「こういう」というのはないのですが、ロボットとの共存ものは、昔携わった仕事のコンテンツもそういうテーマであったので、どういう風に持っていくのが正解(というか、きもちいいのか?)というのが気になってみていました。

ですが、総集編があまりにも細かく入り、「最後まで持つのか?万策尽きないのか?」というドキドキ感の方が大きくあまり内容は頭に入ってきませんでした。

あと1話くらいなのかな?

 

 

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「 ダーリンインザフランキス」はGYAOで見ています。

はじめ見たときはなんかどこかで見たことのあるアニメの寄せ集め感が半端なかったのですが、回がすすむにつれ、展開が楽しみになった作品です。

また、声優さんもキャラクターの魅力を引き出していてとてもよかった。

それと、たまに入る総集編回がアニメのつぎはぎではなく、監督や声優のコメンタリーになっているのも好感が持てました。

まだ、最終回は今日の時点では配信されていませんが、最終回がとても楽しみです。

 

 

 「ルパン三世part5」もGYAOで見ています。

相変わらずのルパンですが、登場するガジェットが個人的には現代風で魅力的です。安心して見れるコンテンツですね。

 

前期までは、niconico動画もチェックしていたのですが、私のメイン視聴環境であるiPADmini初代がもはやパフォーマンス不足なのか安定して配信を見ることができなく、断念しています。短い動画ならいいのですが、30分のアニメの途中で切れると、とても興ざめしてしまいます。

niconico動画のいいところは、正直視聴に堪えないアニメでも、他のユーザーのコメントを合わせてみることで、面白いコンテンツに変化するところだと思います。

 

そんなこんなで、2018年春アニメの感想でした。

 

大学病院について思うこと。

私は目の病をいくつか抱えています。

その為、その道の権威のいる北里大学病院に通っています。f:id:toyboxengineering:20180620192655j:plain

この病院は、とても大きく綺麗なのですが、いくつか疑問(というか不満)に思うことがあります。(すべての大学病院に当てはまるかは、わかりません)

 

まず第一に

待ち時間が異常に長いのです。

これは、眼科だけなのかもしれませんが、予約制で、予約の時間に行っても、当然直ぐには診察されません。

受付を済ませて、待っていると最初に目の検査を流れ作業で行います。これは、比較的早く終わります。私の場合は、いくつかの病気の専用のデータとりの検査があるので、単なる視力や眼圧だけではありませんが、30分ー1時間もあれば終わります。待合室で待っていると、隣のおばさんが「私、もう1時間も待っているけど、まだよばれないわ」と言っていましたが、私は心の中で「甘い!甘すぎますぞ!」と言っていました。

 

そう、検査の後、たいてい診察まで3時間以上は待たされるのが当たり前です。

以前、医者に「席が埋まってるのに、予約を入れてる居酒屋みたいですね」と言ったら、苦笑いしていました。その時に、「朝イチで予約を入れれば、こんなに待たなくてすむのですか?」とか「むしろ、終わるギリギリを狙って来た方が良いんですかね?」と聞くと、朝一は、術後検査がたくさん入るので、やはり待たせることになる、終わるギリギリも、結局予定通りには終わらない前提になっているそうです。。。

 

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第二は担当医が固定ではない事です。

眼科の中に更にカテゴリ別に科がわかれているので、これまた他の科は違うのかもしれませんが、私の通っている科は1人のボス(その道の権威)と3名の医者がいます。

基本、この3人で来た人を診察するシステムなのです。(誰に当たるかは、その時の順番で決まるらしい。)手術などの意思決定や術後の経過を見る時だけボスの診察を受けます。

これも、診察が遅い原因のひとつだと思います。

また、手術をする患者にとって、執刀医との信頼関係が気持ちの上で、重要なファクターだと言うことがわかっていません。

とはいえ、私は嫌な気分になりながらも、この病院で、4回も目の手術をしました。その前に違う病院でも、2回しています。最初の2回を手術した病院から、紹介されたので、信頼していたのです。

とはいえ、別に手術に失敗されたわけでもないので、ただの愚痴かもしれませんが、結構、なれるまでは、「この説明、○○先生に、話したんですけどね」と、同じ説明を何度もしたり、以前の医者と違う説明をされたりとイライラしたものです。

医者にとっては、しょっちゅうやっている手術でも、患者にとっては数少ない経験の一つなのです。

 

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第三に、土曜日は休診。

 サラリーマンにとっては厳しいです。医者はもっと大変だと思いますが。。。

 

私の個人的な理由ですが、この病院は以前住んでいた地域に近かったのと、病気のデータを時系列で取っている病院だったので、今の居住地からは片道2時間かかりますが、今までは通っていました。

往復4時間+検査1時間+診察待ち時間3時間+診察5-10分

このために、貴重な有給休暇をとって(前借までして)通院していましたが、やっと目の治療が落ち着いて、次回から東京都内の土曜日もやっている病院での経過観察に変更になりました。この病院は、私は今も並行して通っているのですが、特殊なコンタクトレンズを作っている方が開業していてとても親身になってくれる病院です。

まさに、大企業とベンチャー企業くらいの違いがあります。

医療の現場は、私のような素人にはわからない事情があるのでしょうけど、大企業にいると、だめだとわかっていても個人の力では改善できない、というのはよくわかります。

 

北里大学病院には3年半の間お世話になっていましたので、あまり悪くは言いたくありませんが、今日、一区切りついたということで書いてみました。

 

東京駅『銀の鈴』50周年

東京駅の銀の鈴が50周年ということで、歴代の銀の鈴が展示されていたので、見てきました。

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今朝、TBSラジオの『安住紳一郎の日曜天国』を聞いていたら、今日までこのような展示をしているといっていたので、お出かけついでに見てきました。

場所は現行銀の鈴の裏。

歴代(初代~4代目)までが並んでいました。

 

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初代はすぐに壊れてしまったそうで、展示品は現職の職員が復元したそう。

くす玉ですね。

 

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二代目は初代に比べて、ずいぶんしっかりした作りになりました。

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あー、銀の鈴の位置って、やっぱり昔と変わっていたんですね。

二代目と三代目はあまり変わった感がないですが、なんで作り直したんでしょう?

ラジオでは、中に玉が入っていて、実際に鳴る、と言っていたように思いますが、展示の説明にはどこにも書いてないですね。

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四代目はおしゃれです。

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左が、展示の説明、右が常設のプレート。

銀色の理由が「金は成金趣味」というのが、なんとも。

 

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私自身は、あまり銀の鈴で待ち合わせをした記憶がありませんが、他の地域から新幹線で来られる人と待ち合わせをするには良いのかもしれないですね。

ただ、地下一階はわかり辛い気がしますが、新幹線も昔に比べて増えてしまったので、致し方ないというところでしょうか。