この記事を読んで思い出しました。
私は1973年生まれなので、元記事の方とは4つ違いですね。
ですが、元記事の方の小学生の時代の話なので、だいたい私の中学時代と重なっていると思います。
私の実家は埼玉のベッドタウンで、あまり田舎という意識はなかったけれど、都会でもなかったかな。近所にコンビニができるのは遅かったです。自転車で行ける範囲(1Kmくらい)に本屋はありました。
ですが頭の良かった仲良しの中学時代の友人2人が、PC8801mk2SRを持っていたので、ザナドゥもウィザードリィも大戦略も画面は見たことがありました。彼らは違う小学校から合流してきたので、どんな小学生だったかはわかりませんが、中一のころからPCを持っていました。
当然、中学生の私には手に入れられないあこがれの存在でした。
私の情報源は、今でいうところの、「意識高い系」中学生の彼らからの情報でした。
元記事の元記事にもある通り、ファミコンでファザナドゥが出た時は、これじゃない感がハンパなかったです。
と言うのも、以前記事↓にも書きましたが、私はこのような友人がいたから、パソコンにとても憧れを持っていた中学生でした。
「 私がプログラミングを始めたきっかけ」について書いた上の記事にも書いた通り、私にとっての大きな転機はPCの「イースⅡ」のオープニングを電気屋の店頭でみたことによるのが大きかったのです。
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話はそれますが、PCゲームといえば、もう時効だろうということで、告白すると
私の高校時代(1989-1991)はファイルマスターとかコピーエイドとかウィザード(だったかな?)などのコピーツールが普通(?)に売られていました。
ファイラーという当時発売されていたゲームのプロテクトを破る追加ディスク(当然5インチのフロッピーディスク)を確か2000円くらいで買うと新作のゲームでも原本があればコピーできてしまうのです。ファイラーは各月くらいで新しいものが発売されていて、本屋の「今月の新刊」のようにゲームがリストアップされているのです。
更に中古ソフト屋がレンタルをしていました。
表向きは中古ソフトを売っているのですが、実態は、レンタル代程度を引かれた金額で買い取ってくれるのです。
たしか秋葉原の昭和口近くにあったと思います。
わたしは、当時から怪しかったので、レンタルはしたことはありませんでしたが、1番欲しいゲームは自分で買って、そうでもないものは友人達と貸し借りして、コピーツールでコピーしていました。
ダンプリストが画面に表示されるだけで、自分でコピーガードを解いたわけでもないのにドキドキしたものです。
高校時代、PCソフト8000円くらいしていましたから、バイトはしていたとはいえ、そうぽんぽん買えるものではありませんでした。
高校は都内の高校に通っていたので、高校から秋葉原まで歩いて行けてたのは、情報強者だったのかもしれません。また、工業科だったので、そういう友人が居たというのも大きいと思います。
末期(?)の頃は、5インチフロッピーディスク20枚組とかざらでしたね。エメラルドドラゴン(買いました)とか、ムービーパートになるたびにフロッピーディスクの差し替えとか、いまならありえないけど、1枚2HDで1.4MBの時代で良く作ってたよなー。でも画面の解像度も640x400とかの時代だしなぁ。
とこんなことを書いている私も、今では、ちゃんとライセンスを買ってソフトは使っています。
今でこそ、コンプライアンス、コンプライアンスなどと言っている大人たち(私も含めて)、たった30年前はこんなおおらかな時代を生きてきて、どの口が言う?と問い詰められると、返す言葉もありません。