ネタバレアリです。
『坂道のアポロン』を見ました。
Amazon prime videoでFODが配信されるようになって、見たかったアニメが沢山見られるようになりました。
実は今週は、12年くらい前に見た『のだめカンタービレ』を3期まとめて3日で見ました。
そんな話を会社のおじさんとしていたら、『坂道のアポロン』面白いよ、と言っていたので、見て見ることにしました。
ザ青春という話でした。
Amazon prime の概要欄によると1966年頃の話のようです。
ジャズを通して仲良くなった友情と愛情の話でした。
微かに匂う学生闘争の影も見せつつも、全編を通して面白かったです。
が、私個人の意見としては、最終話直前で失そうする友人とかいらないと思いました。あのまま文化祭に参加して綺麗に終わって欲しかったです。人が死なないだけマシでしたが。
結局、それまで見せられていたドラマは、どの登場人物の未来にも繋がっておらず、これが現実といえばそれまでですが、アニメに求めているのは、現実のリアリティではなく、自分にとっては、最後のニ話でそれまでの流れをぶち壊されてしまったように感じます。
この終わり方で救われたのは、途中で駆け落ちしたユリカが幸せに暮らしていることがわかったのと、人気者になりたかった松岡が夢を叶えただけに見えます。
最終話の教会でのセッションは悪くはないけど、完全に蛇足で中途半端なものを見せられた気持ちになりました。
そもそも『坂道のアポロン』というタイトルがわかりません。
アニメの劇中にギリシャ神話のアポロンとダフネの話が出てきます。
エロスのイタズラで、アポロンはダフネを好きになり、拒絶したダフネは月桂樹の木になるという話。
ぼんやり、感じるのはアポロンは千太郎でダフネは律子?
千太郎が律子の好意に気がついた時には、律子は薫に好意を持っていたし、そのそも千太郎は途中で律子の好意に気がついた時、受け入れられないと言っています。
では、アポロンは薫で、ダフネが千太郎?
たしかに、紆余曲折を経て、3年生の文化祭でセッションをすることになったが、不意の事故から千太郎は文化祭でのセッションを拒絶して、失踪。確かに、アポロンの好意を拒絶して月桂樹の木になってしまったダフネは、この2人をあらわしてるのかも?
そして、『坂道の』は、「人生は、坂道を重い荷物を持って、向かい風の中進むもの」と昔の偉い人が言っていた通り、坂道=人生とすると、人生の途中の薫と千太郎の物語と解釈すると、この不自然な最終ニ話も納得がいきます。
が、もし、タイトルを回収するために、この最終ニ話があるのだとしたら、最悪ですね。
誰か納得のいく説明をください!