ネタバレ有りです。
劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見ました。
公開初日に見る習慣はありませんが、今後のコロナの影響がわからないので、見られる時に見るのが重要だと思い、見ることにしました。
また、今は映画館は、前後左右を空けた状態で、チケット販売されていますが、今後、全ての席を販売することになる可能性を考えると、今見るのが一番リスクが少ないと判断しました。
CMでも、「最後の手紙」といっている通り、シリーズ完結(?)にふさわしい作品になっていました。
TVシリーズや過去の劇場版を見ていると、全てつながっていて、その後のストーリーが見え隠れする構成が素晴らしい。
あぁ、あの子はその後五十年、手紙が届いていたんだな、とか、地味なあの子は劇作家になったんだな、とか。
TVではできないような永い沈黙で表現するシーンが劇場版ならではだなぁと思いました。
今までの作品でもそうですが、ヴァイオレットが少佐に想いを馳せるシーンをみると、
私の祖母の時代(大体1900年代初頭)の人たちは、沢山の戦争を生きていて、ヴァイオレットのように、生きて帰ってきて欲しい人を待っている人たちがきっと沢山いたんだろうなと思うと、切ない気持ちになります。
いざ、少佐の居るかもしれない島に行こうとしたシーンのヴァイオレットは、とても感情豊かで、成長したなぁ、とちょっとホッジンズ社長の気持ちがわかります。
最後に少佐の顔を見たシーンで下唇がヒクヒクするところも良い芝居だなぁと思いました。
結局、手紙では気持ちを伝えられたけど、顔を見てからは言葉になりませんでした。それもまた、ヴァイオレットらしいです。
物語をヴァイオレット視点から見てきた視聴者としては、少佐が自責の念にかられて彼女と顔を合わせたがらないシーンは、少佐のウジウジしたところは見たくなかったと思いながら見ましたが、戦争に行った人や巻き込んでしまった人は、現実的にはこうなんだろうなと思い、もっとカタルシスを求めていましたが、これがリアルなのかなと思いました。
見ていてモヤモヤする理由について、考えてみました。
この作品は、群像劇なので、ヴァイオレット自身の話以外で泣けるシーンは多いのですが、ヴァイオレット自身の話は、泣けるというより、かなり早い時点で少佐が登場するのに、前述の少佐に対してのモヤモヤした気持ちが後半長く続きます。別に泣きたいから見にいってるわけでは無いので良いのですが、少佐に会えたースッキリ!というわけではなく、家庭をリアルにじっくり描いているからこそのモヤモヤなのかもしれません。
結果的には、ヴァイオレットが幸せに暮らせたことも語られ、彼女の書いた手紙を読んで生きていった人が幸せになっていったこともしっかり確認できて満足です。
私的には、ヴァイオレットがずぶ濡れになったり、海に飛び込んだりするたびに、義手の可動が心配になったり、島の暮らしの中でメンテナンスのたびにライデンシャフトに行くのかな?など、余計な心配をしてしまいました。
今回、ムビチケ特典のクリアファイルが欲しかったのですが、新型コロナでタイミングを逸してしまいました。今日は、公開初日なのに、かなりの物販が売り切れていました。
↓入場者特典は小説の小冊子でした。
プログラムは買えたので、これから読みます!