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こんな記事があったので、私のきっかけを書いてみる。
一番初めは、ファミリーベーシックだ。発売されてすぐに買った(買ってもらった)のかはよく覚えていないが、小学校5-6年生のときだ。
最初は付属していた冊子のベーシックのプログラムを入れていたが、たしかキャラクターコードを入れると漢字を表示するようにマリオなどの任天堂のキャラクターが表示できる仕様だったように思う。
小学生の私は、自分のオリジナルのキャラを表示して動かしたかったが、ファミリーベーシックではできなかったのか、当時スキルがなかっただけなのか、かなわなかった。
その思いは中学生になっても、心の奥で引きずっていた。そのころになると、お金持ちの友達の家にはPC8801シリーズがあって、パソコンならそれができるんだ!ということを知っていた。(といっても、そのころの友人たちにとっては高価なゲーム機に過ぎなかったようだが)
中学三年か高校一年の時に、店頭でみた日本ファルコムの「イースⅡ」のオープニングには衝撃を受けた。
特に惹かれたのが振り向くシーンと最後の目パチ、口パクアニメーション!
高校入学祝と、自分の貯金をはたいてPC88VA2を買った(買ってもらった)。
当時、PC8801はZ80だったが、当時、確か¥289,000くらいしていたように思う。
そしてPC88VA2はPC9801シリーズにはなれず、Z80とも完全互換ではないという不遇のPCだったが、私は夢中でBASICやアセンブラを独学した。独学といっても、工業科に入った私にはマニアックな友人がいてとても大きな影響を受けたのは間違いない。
どうもそのころから、ハードウェア志向が強かったらしく、シリアルポートにつないだジョイパットからキーを読み出し、念願の自作のキャラクターを動かしていた。
当時、お絵かきソフトもなかったので、自作をしていた。
私の原点はまさにここにあると思う。
その後、独学で学んだプログラミングはどこか不安があり、私はハードウェアエンジニアになった。大学で電子工学を専攻していたからだが、就職してから分かったことは、就職してから得たもののほうがはるかに大きく、プログラマになっていたら、違う未来があったかもしれない。
だが、ハードウェアを制御するプログラムが好きなことは今も変わらないし、プログラムがわかるからこそのハードウェアを作ってきたと思う。
こんな生い立ちだからか、ドライバから自作するため、あまり既製品のライブラリやAPIを使うことに慣れていない。
今どきの若者は、こんなに複雑になったハードウェアやライブラリの体系をどのように習得していっているのか見習いたいと思う今日この頃である。